MEXICO
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何が出るかな、何が出るかな…♪
日本発JAL便の筈なのに、 バンクーバーでトランジット後、 気がつくと乗客はメキシコ人風の人ばかり… 突然のアウェイに驚きました。 運航もアナウンスも日本人(語)なのに。(笑)
空港から市内(セントロ)まで、 地下鉄もあるし安いけど、 TAXIにしました。 チケット制(定額)で、 車番も提示され、 なるほど観光客の安全安心に、 気を遣っていると感じました。
泊まった日本人宿①。 朝食はパンとマヨ玉子。 自炊もできる。
地元でも乗らないので、 (広島に地下鉄はない) 怖くて… 同じ宿の男性が通りがかったので、一緒に乗ってもらおうとするも、乗らないそうで、 「気をつけて」と、 言われる。 (画像の男性は別の現地人)
ホームに出るも、進行方向がわからない。 土地勘がない上、地名も読めないから… 因みにメキシコ語、 ではなく、 スペイン語です。
ここでもインスタント…(笑) 栄養を考えて、冷凍ベジタブルを手に入れたぞ!
博物館へも滅多に行かない (美術館は好き) けど、 これから内陸部の遺跡を訪問するので、 勉強も兼ねて来ました。逆行していることに、 途中、日本人に会って知らされた。 単独行動だとこうなる?(笑)
たまたま、年に一度の、 大祭の日だと知り、 同宿の短期旅行者と赴く。 元は神殿に、カトリック寺院を建てたという、 歴史と文化がガッチャンコ。
高地にある盆地で、 大気汚染が深刻…確かに、 スモッグがひどかった。 そして、私はこの後、 変な咳が続く様になり、 (他人に心配されるレベル) しばらく悩まされた。
外国語は何語もできないので、 日時と目的地を書いたメモを見せ、 発券してもらっていました。 ウノ(1)、 マナーニャ(明日)、 などの単語は覚える。
着いたら、その場で、 帰りの便のチケットを確保。 自由なる放浪旅とは異なるが、 自分の場合、こうしておかないと、 不安だし、どうすることもできない。 (するし、したけど)
遺跡。 とにかくただっ広いのは、 推定20万人が暮らす都市だったから。
シティ(首都)を離れて、 内陸部へ移動。 緑が和むけど… 日本とあまり、 変わらない様な…
この辺から、 ザ・メキシコってかんじに!
外国を旅している!!という風景。 因みにこの時は、 オアハカに向けて、 約6.5時間のバス旅。
バス乗り換えに失敗、 郊外から市内に戻って、 偶然、目星をつけていた宿の前で下車という、 ミラクルが起きる☆ (本当)
Xmasだからでしょう、 イベントで賑わっていました。 皆、家族連れ。
オアハカ市内からバスで行ける、 モンテアルバン遺跡。 日本の城跡公園に、 雰囲気が似ていて、 不思議な感覚に…
①の宿は、シャワーが臭くて熱いお湯が出ず、 高地では寒くて耐えられず、 宿探しの末、こちらに移動。 これもいい経験。
アメリカ大陸最大の樹。 それは行かねば!! 現地旅行会社に、 ミトラ遺跡込みのツアーがあったので参加しました。 ここは自力で行くには、 少し遠くて不便だったので。
山の中腹に忽然と現れる、 岩を溶かすほどのミネラル豊富な温泉… という話でしたが、 触ってみたけど、冷たかったですよYO!
オーストラリア人夫婦や、 メキシコ人カップルなど… お互い、言葉は通じないのだけど、 妙な仲間感覚があって楽しかった!
死者の場所、と、 呼ばれる遺跡。 でも、怖い印象はありませんでした。
最初、フォークが出なくて、 ナプキンにフォークの絵を描いて意思疎通したり、 何回か通っていたら、なんとなく顔なじみに。 ここ、日本にあったら、 行くのになぁ…^^
オアハカからパレンケへ。 バスの係員に降車地を確認したら、 うそを教わってしまい、 知らない土地で下車… 困っているところで出会った女の子に、 手作りのミサンガをもらって励まされました。(笑)
数時間遅れでパレンケへ。 ここには、長年、 ジャングルに沈んでいた遺跡があり、 メキシコに数ある中で、 いちばん訪れたかった場所。
さすがジャングルの中、 蚊が多い、じめじめする、 私は足を滑らせる、 それに驚いた白人男性が、 カメラを転がり落とすなど、 呪われた地。(ウソです)
泊まった日本人宿②。 でも、女子ドミトリーには、 最初、韓国人の女子だけ。 結局、3週間くらいいたので、 いろんな人の入れ替わりを見ることに。。
階段から観光客が転落し、 以後、登れなくなったという遺跡。 パレンケですっ転んだ私は、 笑えないし、 登らないで済むなら、楽とも思う。
高校時代、
メキシコの雑貨が流行したと言いますか、
個人的にどハマリしたことがありまして。
17歳の誕生日に、友だちから、
サボテンの小さな鉢植えをもらったほど。
2つの内、
ひとつはまだ元気です^^
そんなわけで、その頃から、
憧れの場所ではあったのですが、
なかなか行くのは難しそうでした。
治安が悪いとも聞いていました。
が、
メキシコ政府が観光客を招致する為に、
観光ルートの安全に、
配慮する様になったと聞き、
それなら行けそうかなぁ、
がんばって行ってみようかなぁと、
思ったのです。
メキシコは遺跡も多く、歴史と風情があり、
それでいて陽気で、自然もきれい、
食べるものも美味しいらしく、
世界一周系旅人絶賛の地だったんですよね。
果たして…その噂の真相は?!
噂と違わず!
そして、いい意味で想像と違いました。
それでも私は、
最初の頃は、本当に、
おっかなびっくりで…
実質・1番目の訪問国で、
緊張していたのもあると思います。
首都メキシコシティには、
『日本人宿』が2軒あって、
内ひとつにおせわになり、
日本人に不自由はなかったのですが、
短期旅行や移住(仮住まい?)の方が多く、
市内観光くらいなら一緒に行けるのですが、
同じ進路に旅をする人がおらず…
当然ですが、
ひとりで旅の仕方を模索、
解決してゆくしかありません。
やがて、首都を出て、
バスを乗り継いで、
メキシコの大地を横断、
しばらくは、女ひとり旅が続きます。
私は日本語以外は、
本当に何語もできないので、
チケット売場へ行き、
日時と行き先を書いたメモを見せ、
発券してもらっていました。
メキシコは、
幸せそうな家族が多くいて、
ひとりでいると、
「アローン?」と、声をかけられ、
自分は孤独(アローン)な人間だと、
心が蝕まれていくのでした。
それでも、がんばるのですけれど。
やがて、東海岸に辿り着きます。
ました。
メキシコの東側、
カンクンという一大観光都市で、
これまた2軒ある日本人宿の、
内、ひとつのペンションで、
先に宿泊していた男性に、
声をかけられます。
「メキシコシティの宿にいた人だよね?
この人、大丈夫だろうか…と、思ったくらい、
おっかなびっくりしていたから、
印象に残っていて…
えっ! バスで横断してきたの?!
自分でもキツイから、
飛行機にしたのに!!」
えっ、そんなに~?!
と、
思いました。
メキシコでも出来合いを売買するんだ… と、思いました。 ここはアメリカナイズされた都市なので、 ちょっと違うのかもしれないけど。
チキンとか、まぁ、 ごちそうなんだろうなと思われる料理。
日本みたいに、 25日の夕方には飾りを外すこともなく、 正月過ぎて1月になってもXmas仕様なので、 「?」と思い、聞いてみたら、 Xmas休暇というくくりなので、 長く飾ってるのでは? とのこと。 へー
この時の管理人夫妻が、 夕方のシェアめしを作ってくれた。 材料費を参加人数で割り、 食べた人でくじを引き、 ハズレを引いたら食器洗い。 ハズレ続けるのも、あなたの運次第。(笑)
Xmasイブは、 総勢21名が、 シェア夕食に参加で、 立食スタイルに! 正にパーリー状態!!
チキンも、マカロニグラタンも、ピラフもあって、 21ペソ、日本円で約147円。(2009年当時)
リゾートホテルの浜辺は、 宿泊客以外は追い出される。 日本人なら大丈夫と聞いて行ったが、 写真を撮るだけ撮った後、 追い出された。。 「自分のせい?」 と、 謝り合う私たちは日本人。(笑)
しかも貧乏旅行者には高いやつ!! これで年明けを祝おうぜ!と、 M瀬(美男美女)夫妻の差し入れ。 テキーラ飲めないけど、いただきました!
これがM瀬夫妻。 この太っ腹に感動した私は、 自分も差し入れができる人間になろうと、 今年最後にようやく思ったという。。
先述の、 海辺で追い出された仲間。 新婚旅行中の日本人、 なので、おふたりと一緒なら大丈夫と踏んだのに… ご主人デフォルトの変顔のせいか??
初日の出が見れる、 (追い出されない)海辺に、 同じ宿の団体で行く。
いい年にするぞおっと、 誓った私。
年明け、お正月のおやつとして、 アイスを差し入れた私。 日本の高度な冷凍技術と違い、 ふにゃふにゃなアイス… だが、密かにブームとなり、 冷凍庫に常に1コある状態が続いた。
年明け、旅再開。 これまでとうって変わって、 海辺にある遺跡。 海の色はきれいだけど、 あいにくの曇天。。
ダイビングパラダイスの島ですが、 ダイビングはしないので、 観光と、写真撮影に来ました。 ギャラリーで展示するよYO!
コスメル島で、 日本人の奥様が経営される宿。 とてもきれいで、自転車の貸し出しあり。(当時)
平らな島の反対側へ… 向かい風がすごくて大変で、 着いた先は、 冬の日本海みたいになっていた。(笑)
本当は、年始はキューバに、 行く予定だったけど、 ビビってしまって断念。 せめて、キューバ料理の店に、 立ち寄った。
この後、南米に飛ぶかも、 悩んでいた。 私は旅に向いていない。 いろんな人に言ったが、 もうここで帰った方がいいと返す人は、 ひとりもいなかった。
カンクンの宿に帰還。 当時、マイPCを持ち歩く派と、 宿やネットカフェで借りる派の半々で、 PCに疎い私は後者。
この時に教わって、 初めてHPをアップした。 いま思えば、これはブログ。(笑)
『日本人宿』…日本人が経営、
もしくは管理人、
或いは日本人が多く滞在する宿。
カンクンで、
ひとまず安住の地を得た私は、
前向きになったり、
相変わらずやらかしてみたり…
ずっと憧れだった、
海外でXmas、更にお正月も、
この素敵な宿で迎えます。
楽しかった!
けど、
その分、
自分は旅には向いていないと、
強く感じる様になりました。
旅の仲間。いや、同じ宿の仲間か?
年末年始休みで来た社会人、長旅の人、
いろんな人が交差して行った。
長い、ひとり旅に向いていないと、
懊悩し続け旅した、
メキシコ。
その最後の日、
たくさん人々に見送られたのでした。
うぅ、
『居心地のいい場所を出なければ、
新しい風に吹かれることはない』
…好きな言葉で、
その為に、旅立ちを決意してきたわけですが、
やっぱり、ちょっとつらいのです。
涙も出ちゃう。
だって、
女ひとり旅だもん。
でも、皆、
ひとりで旅立って行ったんだよ。
あの時、
そこに確かにいた人たちは、
もう、そこにはいない。
皆、生きてる限り、
旅人だから。
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